江戸時代になると、東海道や中山道などの街道が整備され、これにより多くの人々が安全に旅することができるようになり、荷物も多く、早く届けられるようになりました。
 一里塚は、旅人に距離を知らせるために一里(約4㎞)ごとに、街道を挟んで両側に一基ずつ作られました。一路塚の上には、榎や松などが植えられ、その木陰は多くの旅人の休憩する場所となりました。また、駕籠や荷物を運ぶ料金の目安としても利用されたようです。ここ宮之一色一里塚は、東海道の起点である江戸(東京都)日本橋から数えて63番目の一里塚です。現在の一里塚は昭和46年(1971)に復元されたものです。
 当寺は、西に間の宿といわれた池田宿と天竜川の渡船場を、東に見附宿をひかえて、さぞ多くの旅人や荷物が行き交ったことでしょう。一里塚の西に点在する松並木がその名残を今に伝えます。

一里塚の跡碑

宮之一色一里塚説明

宮之一色一里塚跡