このお寺は鴨川道場東福山西光寺といい、阿弥陀如来をご本尊とする時宗の古刹であります。文永2年(1265)真言宗の傾本和尚によって創建されましたが、建治・弘安年間(1280前後)この地を訪れた時宗の開祖証誠大師一遍上人(延応元年1239~正応2年1289)を迎えて改宗し、時宗の修行道場となりました。
 元和7年(1621)類焼による大火で焼失しましたが、元和9年(1623)に再建、慶安元年(1648)三代将軍徳川家光公より御朱印地32石8斗(一石は約300坪)余りを与えられ、寛政3年(1791)には、境内地9,160坪と記録されております。また、旧東海道見付宿西坂の地に光堂山蓮光寺がありました。
 蓮光寺は、安元2年(1176)平清盛の嫡男、遠江の国守であった平重盛公により建立された元天台宗の寺院で、吾妻鏡(鎌倉時代に成立した日本の歴史書)にも遠江国府の光堂として登場、当時は七堂伽藍の名刹でした。後に西光寺の末寺として時宗に改宗、明治44年(1911)西光寺と合併し廃寺、重盛公ゆかりの伝聖徳太子作・薬師如来像(磐田市指定文化財)がここに移されました。
 なお、本堂にお祀りしております日限地蔵尊は、二代将軍徳川秀忠公と正室江の五女で、後水尾天皇(第108代)の妃となり東福門院と称せられた皇后・源和子姫がお側に置かれた念持仏、ご自身の守り本尊です。
元和6年(1620)入内のため江戸城から京の都に向かう途中、西光寺にてご休憩され、東福門院より七堂伽藍、東福山の山号、木造弥陀三尊像、木造地蔵菩薩像を賜りました。
 先に記した通り、元和7年の大火で本堂、諸堂ことごとく焼失しましたが、弥陀三尊像、地蔵菩薩像は、燃え盛る炎のなか不思議にも焼失をのがれ、ただ今も本堂に安置されております。特にこの地蔵菩薩像は、「日を限り願えば、すべてが叶う」 と、昔から霊験あらたかな尊像として県内外に信仰者が多く、毎月14日の例祭及び11月の大祭には、大勢の参拝の方々で賑わいます。また、西光寺は遠江49薬師霊場48番札所として、病気平癒を願う巡礼の人々から信仰され今日も栄えています。近年は、縁結び、恋愛成就のパワースポットとして静岡県のテレビ、ラジオ等、地元の放送局で広く紹介され、幅広い世代のみなさまが訪れています。

熊野神社拝殿

六地蔵尊

熊野神社本殿

薬師如来坐像

日限地蔵尊

本尊阿弥陀如来を祀る本堂内陣

表門

西光寺本堂

寛政元年(1789)の鐘楼門(山門)

徳川家康が別荘として中泉村に築かせた中泉御殿(のちの中泉代官所)の表門を移築したもの

西光寺由緒

宗祖一遍上人像

推定樹齢250年のナギの木

樟の樹高は18m

推定樹齢500年の樟の大木