樹齢300年の夫婦槙
天正6年(1578)夏、遠江のほとんどの城が徳川家康の味方となってしまい、武田勝頼の城は高天神城だけとなっていました。
勝頼は家康の情勢をうかがうため、8月10日に笹田源吾(篠田源五)を偵察にだしました。ところが夜の闇に紛れて木原村まで来たところ、徳川方に味方する木原村の熊野権現社(許禰神社)の神主親子に討ち取られてしまいました。
この手柄を家康は喜び、彼らに褒美を与えました。しかし、戦乱の時代が終わり平和な時代が訪れても、村は疫病や災害などの悪いことが続いていました。誰が言うともなく、源吾の霊が祟っているのではないかと言い出し、彼の霊を鎮めるために長命寺の境内に供養塔を立てて、その前で念仏供養(袋井市指定文化・木原大念仏)を始めたと伝えられています。
袋井市教育委員会
笹田源吾供養塔
享保17年(1732)の一石に刻まれた六地蔵尊
笹田源吾供養塔拝所
那智山長命寺は、天文元年(1532)9月本寺海蔵寺8世日山天恵和尚が開いた曹洞宗の寺であり、本尊聖観世音菩薩は紀伊国(和歌山県)那智山長命寺より伝来したと伝えられている。
この度、海蔵寺開創600年の節目の年に当たり、好意により当山の法地昇等を認可され、海蔵寺34世祥雲龍賢和尚を法地開闢開山として迎えた。
薬師尊と刻まれた手水石
長命寺由緒碑
長命寺本堂
本堂に掛かる長命寺の扁額
聖観世音菩薩が安置された本堂内陣