江戸時代に諸大名が江戸へ往来した時の旅宿にあてた駅宿の旅籠屋を本陣といいます。
日坂宿本陣の屋号は 「扇屋」 代々片岡家が世襲で営んでいました。
本陣の敷地は、およそ350坪・建坪220坪、門構・玄関付の建物でした。
嘉永5年(1852)の日坂宿の大火で全焼、再建後、明治3年(1870)に店を閉じました。
その後の学制頒布に伴い、明治12年(1879)より跡地を日坂小学校の敷地とし、家屋は校舎として利用されましたが現存しません。
日坂宿本陣跡説明
東海道53次品川宿から数えて25番目の宿 「日坂」
江戸から54里余。日坂は東海道三大難所の一つ 「小夜の中山峠」 西の麓に位置し、西坂、入坂、新坂とも書かれていました。
「日坂宿」 の初見は、鎌倉時代、延慶3年(1310)の 「夫木和歌抄」 といわれています。
慶長6年(1601)徳川家康による、東海道の整備にともない、問屋場が設けられ、伝馬の継ぎ立て駅としての日坂宿は、重要な存在になりました。 助郷43村の協力で、伝馬百疋と伝馬人百人が置かれ、役人の公用と荷物の輸送に役立ってきました。
天保14年(1843)の記録によれば、家数168軒、人口750人とあり、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋33軒がありました。
大井川の川止めや、大名の参勤交代などで小さな宿場町ではありましたが、かなりの賑わいであったと思われます。
宿場の東口から西口までの距離は、およそ6町半(700m)町並みの形態は現在もあまり変わっていません。
日坂宿案内絵図
東山往還道標
東海道道標 日坂宿本陣跡