江戸時代末期になると、江戸を中心として諸国への街道が整備され、物見遊山の旅が盛んに行われ、庶民の関心がそれまでの享楽の場から戸外へ移るにつれて風景画が多く描かれるようになった。
 この浮世絵は、広重が天保3年(1832) 「保永堂版東海道五拾三次」 に続き、天保13年(1842)頃に、視点を変えて風景をとらえた 「狂歌入東海道」 の日坂である。

解説碑

前方に国道1号日坂バイパスが見える

街道左手の広重画

狂歌入東海道53次 日坂

あたらしく 今朝にこにこくと わらび餅 をかしな春の 立場なるらん