川越人足は、外見上の粗野な風貌と、仕事内容により、ややもすると街道に出没する、いわゆる 「雲助」 と同一視されることもありましたが、事実は、長年にわたる厳しい修業を経て、高度な渡渉技術を身に着けた熟練者の集団でした。
大井川は現在と違い、当時は水量が豊富なこともあって、とても素人に勤まる仕事ではありませんでした。
川越人足になるには、12~3歳の頃から見習いとして、雑用を行い、15歳頃から 「水入」 となってさらに訓練を積み、毎年末に川会所に申し出て、適当と認められると、正月になって川庄屋が本人を川会所に呼び出して、川越人足になることを認められました。
十番宿の連台
二番宿
主に年を取った川越し人足が集まった宿で、人足たちの仕事上の意見交換や、各組どうしの親睦の場として使用された
仲間の宿
川越人足が普段詰めていた待機所であり、川越人足は、10組に分けられ各組が一つの番宿に詰めていた。
荷崩れした荷物を直したり、荷連台や馬に括り付けるときに使用する縄を用立てたところである
仲間の宿のわらじ
仲間の宿で休む人足人形
「雲助」 ではなかった川越人足
三番宿の川越し人足人形
荷縄屋
十番宿