定飛脚問屋(三度屋)跡説明

 田町の南側に 「浅倉屋何右衛門」、北側に 「黒田屋重兵衛(治助)」 という定飛脚の問屋がありました。
 定飛脚とは、「三都定飛脚」 ともいい、江戸と上方の京・大坂を定期的に往復した民間の飛脚で、月三度(2日・12日・22日)出したところから 「三度飛脚」、取扱所を 「三度屋」 とも言いました。またこの飛脚が被った笠を 「三度笠」 と呼びました。
 並便は昼間のみの往来でしたが、昼夜兼行の早便(特別急行便)は、江戸・大坂間の到着期限を6日としたことから 「定六」 とも呼ばれました。明治4年(1871)、郵便の制度が施行されるまで、書類や信書、金銀の郵送もこの定飛脚で取り扱われました。
(島田市教育委員会)