お七里役所跡説明

 徳川御三家の一つ、紀州家が重要書類の送信のために、七里(約28㎞)ごとに置いた飛脚の継立所(飛脚小屋)のことです。
 この飛脚は、幕府の継飛脚、民間の定飛脚(町飛脚)に対して、「大名飛脚」 ・ 「七里飛脚」 とも呼ばれました。
 紀州家は、江戸~和歌山間(146里・約584㎞)に役所を23ヶ所設け、江戸勤番の中間(仲間・下級武士)の中から、体格も良く才能の優れた者を2人ずつ選び配置しました。極めて華美な格好と才覚から、宿内外の顔役となる者も多かったようです。
 実際の御状箱の継送は、宿問屋から人足を出させるか、賃金を払って人足を雇いました。
 ちなみに上りは掛川宿、下りは丸子宿で引き継ぎました。常便は、月3回(江戸は5の日、和歌山は10の日に出発)、道中は8日かかりましたが、臨時の急便は4日足らずで到着したと言います。しかし、経費がかかるため、いつの頃からか廃止され、常飛脚に委託するようになりました。
(島田市教育委員会)