柏屋本陣(一番本陣)跡説明

 柏屋は、代々八郎左衛門を名乗り 「金谷六人衆」 と呼ばれた名家の一つです。代々本陣と名主を務めていました。先祖の河村弥七郎が徳川家康に忠節を尽くしたことで信州に知行地を与えられ、金谷宿・島田宿にも屋敷を与えられています。
 江戸初期には、柏屋と佐塚屋が本陣、山田屋は脇本陣でした。寛政3年(1791)の 「竹下屋火事」 と呼ばれた大火によって、本陣2軒・脇本陣1軒・旅籠屋52軒の全ての宿泊施設が焼失してしまいました。
 天保14年(1843)の幕府記録 「東海道宿村大概帳」 には、柏屋本陣は 「凡建坪264坪、門構・玄関付」 とあります。
 なお、表間口は19間5尺、奥行35間半(表は会同に面し、奥は沢川まで)あり、尾張徳川家・紀伊徳川家の定宿となっていました。
 寛永7年(1854)の 「東海大地震」 で壊滅し、本陣を廃業。その後は旅籠屋を営みました。
(島田市教育委員会)