佐塚屋本陣(本町・佐塚佐次右衛門)説明

 寛永12年(1635)参勤交代制度とともに、各宿に本陣が開設されましたが、その当初より、佐塚家は佐次右衛門の名を継いで金谷宿本陣を務めました。
 建坪263坪、門構え、玄関付で、門の屋根には対の鯱(しゃち)が付いていたので 「鯱の御門」 と呼ばれていました。
 表の間口は13間、奥行は35間半で、現在の佐塚家と東隣の住宅の敷地に当たります。
 慶応4年(1868)10月5日、明治天皇御東幸のおり、ここで天皇がお昼休みをとられました。しかし、御食事の仕度には本陣の家族は一切手を出さず、婦女子も遠ざけられ、天皇の茶の湯も、中町の塚本市右衛門家の井戸水が使われました。
 なお当時の 「御小休」、「行在所」 の関札(宿札)と、神器(八咫鏡)が安置された 「内侍所」(山田屋本陣)の関札が、佐塚家に大切に保管されています。
 明治3年(1870)、本陣は廃止され、普通の旅人や役人の宿泊所(旅籠)となりました。
(島田市教育委員会)