西照寺の顕如上人絵像は、安土・桃山時代に活躍した浄土真宗本願寺11世顕如上人(1543-92)を描いた絵図で、当山創建時より寺宝として伝えられている。
 顕如上人は本願寺10世證如上人(1516-54)の長子として大坂石山本願寺に生まれ、父の死により12歳で法統を継ぎました。元亀元年(1570)、織田信長と衝突し、その後10年にわたって戦いました。正親町天皇の勅命により信長と和睦した後は、紀伊鷺森(現和歌山市)に移りましたが、天正18年(1591)に豊臣秀吉が京都七条堀川の地を寄進したため、ここを寺基と定め本願寺を建立した。
 この顕如上人絵像は、江戸時代初め13世宣如上人が誓玄法師に賜った宝物と伝えられ、法師はこの絵像を阿弥陀如来像、蓮如上人直筆の六字の名号とともに堂宇に掲げ、西照寺を開山したと言われています。黒の袈裟を身にまとい、両手で数珠を握り左右を見つめる姿は、門徒に教えを説いているように見えます。
(島田市教育委員会)

顕如上人絵像解説

親鸞聖人七百回忌参拝記念碑

南無阿弥陀仏碑

鐘楼

西照寺本堂

本堂に掛かる佛光山の扁額

西照寺本堂

山門

西照寺由来碑

手水舎