遠江では平治元年(1159)以後、しばしば熊野新宮を造営するための費用をまかなう国に指定されたため、多数の熊野神社が建てられました。袋井市域では、現在でも土橋で熊野権現社、松袋井で熊野十二社神社、木原では許禰神社が祀られていることから、古代末期より和歌山県の熊野山とは大変深い関係にあったことが分かっています。
 川井の十二社神社も、かつて熊野十二所権現と称されており、熊野山との関係を伺い知ることができます。江戸時代の記録からは9尺四方の本殿と脇宮、天正13年(1585)の棟札などがあったことが分かっています。棟札には川井の地頭菅沼織部と代官壹右衛門の名前が記されており、神社の創建は少なくとも戦国時代までは遡ることが考えられます。現在の神社は、明治8年(1875)、袋井西小学校の中にあったものを、当時存在した脇宮の大頭龍神社と合祀し、今の場所に移転したものです。
(袋井市教育委員会)

川井の十二所神社説明

 創建は紀州熊野権現より天神七代地神五代合わせて十二柱を祭神とし、十二所神社と称す。当時本殿は9尺四方にて宮建ては広大なり、慶安2年一宮監物より寺社奉行に村社とした届出の文書がある。
 明治8年(1875)今の西小学校の用地となる事により、脇宮のあった権現地川井字笠井の現地に移り、明治10年(1877)川井村村社となった。昭和19年(1944)東南海地震により本殿倒壊し、再建その後、内外装整備し今日に至る。

十二所神社由緒

文化8年(1811)の秋葉山常夜燈

大正4年(1915)の耕地整理之碑

光明山常夜燈

手水舎

拝殿内

十二所神社拝殿

寛政10年(1798)の秋葉山常夜燈