袋井の宿が初めて歴史史料にあらわれるのは、約700年前につくられた「遺塵和歌集」の次の一節です。「・・・なくふくろふの もろこゑは かけてもきかし かけ河の・・・」
これは京都から鎌倉までの宿や名所を詠みこんだもので、おそらく 「ふくろい」 を梟にひっかけて表現したのでしょう。
 池田宿(豊田町)と掛川宿の間に記されていることから、袋井は鎌倉時代の後半には、ある程度宿としての設備を整えていたものと思われます。
 鎌倉・室町・安土桃山時代を通じて、東海道は国内最大の幹線でした。武士や貴族・僧侶の他、多くの人々が往来し、特に戦国大名達にとって、交通路と宿駅の整備はもっとも重要な課題の一つでした。
 徳川家康は江戸に幕府を開く2年も前、慶長6年(1601)に、いわゆる 「東海道五十三次」 のほとんどの宿駅を設置しています。袋井宿は比較的距離のある掛川宿と見附宿の中間の宿駅として、元和2年(1616)に開かれました。 「五十三次」 でいえば、品川宿から数えて27番目、ちょうど東海道の真ん中に位置しています。

北斎漫画と末広五十三次

袋井宿解説

袋井宿案内絵図

東海道五十三次どまん中ふくろい碑

噴水・東屋のある袋井宿公園内

東海道五十三次どまんなかの巨大看板

北斎漫画
絵手本としての「北斎漫画 袋井」には、石積みのある土塁の間を進む二人の旅人が描かれています。

末広五十三次
二代目歌川国輝の「末広五十三次 袋井」には、天橋を越え、東へと向かう大名行列の姿を描いています。