袋井宿には三軒の本陣が置かれていました。その場所から東、中、西本陣と呼ばれ、「東海道宿村大概帳」 には、次のように記されています。
  宿内惣家数195軒
  本陣 凡建坪290坪半 門構・玄関付 字新町1軒
  同   凡建坪219坪   門構・玄関付 字本町1軒
  同   凡建坪166坪半 門構・玄関付 同   1軒
 三軒の本陣は東海道往還通に面して北側に建てられていました。 三本陣のうち東本陣は 「壱番御本陣」 とも呼ばれ、代々八郎左衛門を名乗っていた田代家が営んでいました。 田代家は本陣の運営とともに宿役人として書状・荷物の継ぎ立てを行った問屋場の最高責任者である問屋をも勤めています。
 本陣の構造上の特色は門構えと玄関があり、また内部に 「上段の間」 が設けられていたことです。 東本陣の場合、敷地全体の坪数1068坪、塀を除いた建坪288坪、間口13間半、奥行31間もあり、その規模の大きさがうかがわれます。

本陣建屋解説

南北に長い敷地

袋井宿東本陣跡解説

 この場所は平成3年度に発掘調査が行われ、東本陣跡の建物の一部が発見されました。現存する本陣絵図で本陣も東側の建物です。
発掘では火災の跡も発見され、何度も建て直されていると考えられます。
 この建物は、俗にいう 「ウナギの寝床」 のように南北に奥行きのある建物で、本陣家(田代家)の生活の場であったと考えられます。
南側の街道に面した所は土間で、八畳が三間続き、南側二間には天井が無かったと絵図は記しています。その北側は坪庭を挟んで四畳と八畳、湯殿などが接続していました。