当山は山号を袋井山、寺号を観福寺と云います。延暦12年(793)桓武天皇代、天台法華宗寺院として、この地に建立され袋井地名の発祥のお寺です。
 御本尊は聖観世音菩薩で、遠州三観音に数えられていました。脇本尊は建久元年(1190)10月、源頼朝上洛の無事を祈り、御母御前佛を奉安された延命地蔵尊です。
 現在の東海道、袋井宿の基となった鎌倉街道62宿 「袋井駅次」 が設けられた 「此地に井有仁に篤」 と人の情と母と子の縁、絆でもあり観音様のお膝元でもありました。
 天正15年2月徳川家存亡に関わる大難を救った旗本・坂部正定がこの寺で亡くなり天正17年(1589)可睡斎の称号を戴いた仙麟等大和尚を迎え、正定の供養と曹洞宗観福寺住職として葵の紋を拝領し東海道を往来する武家・大小名の参詣を受けました。江戸から数えて27番目、京都から数えて27番目、東海道どまん中の宿のお寺です。
 境内地には、元和2年(1616)近郷に悪戯する白狐を懲らしめ、戒心、服従せしめた豊川稲荷の御姉上茶吉尼神天様が祀られ、以来、この白狐が茶吉尼神天様を背に乗せ信仰、信心の厚い家々を巡り家内安全、商売繁昌、五穀豊穣の願いを能く叶えて下さると伝えられています。
 貞享4年(1747)人形浄瑠璃、歌舞伎三代傑作の一つに 「義経千本桜」 があり、袋井宿の歌舞伎、浮世絵に 「狐、忠信」 が描かれています。義経、吉野落ちの折り 「初音の鼓」 を抱いて義経を追う静とその鼓の皮を母親と慕う子キツネの化身 「忠信」 との道行の物語り、子キツネにまでも優しい観音様茶吉尼神天様、縁と絆、母と子のお寺の縁起です。

東海道どまん中袋井宿 へそ寺

観福寺の狐伝説と歌舞伎役者絵

地蔵菩薩

六地蔵尊

観福寺本堂

本堂内陣

 昔、観福寺一帯にたくさんの狐が住みその中に静御前が持つ初音の鼓の皮を母親と思う子狐がいました。
 観福寺の観音様のお告げで子狐は「忠信」に化け、義経と母常盤をも導き合わせることができたという物語である。