日本左衛門は本名を浜島庄兵衛といい生まれは定かではないが、遠州浜松在ではないかといわれています。
歌舞伎の青砥稿花紅彩画(白波五人男)日本駄右衛門のモデルにもなりました。
義賊といわれ、盗みはするが非道はしないというのが身上で、金持ちの蔵を破り生活困窮者に盗んだ金をばらまいたという説もあります。
詮議の手が廻り、もはや逃れられないことを知った日本左衛門は京都で自首しました。そして、江戸に送られて処刑され、根城としていた見付宿(現在の磐田市)でさらし首になりました。
辞世 「押取の人の思い羽かさなりて 身に青網のかかる悲しさ」
と詠んでおります。
金谷宿の 「おまん」 という愛人がひそかに見付宿から首を持ち帰り、この宅円庵に葬ったものです。
辞世句と言われる 「月の出る あたりを弥陀の 浄土かな」 が刻まれている
天明8年(1788)の地蔵菩薩ほか
日本左衛門首塚
六地蔵尊
観音堂
北向き地蔵堂
無縁供養塔
日本左衛門首塚
南無妙法蓮華経と刻まれた観音菩薩
北向き地蔵尊
日本左衛門首塚解説