妙日寺は、正慶元年(1332)身延山久遠寺の日善によって開かれた日蓮宗の古刹です。
日蓮宗を開いた日蓮の父の法名を寺名とし、境内は一族である貫名氏の代々の邸宅跡と伝えられています。正面本堂には、一塔両尊四士を御本尊として祀り、本堂東側の思親殿には日蓮聖人と、その両親の木像が安置されています。
日蓮の父貫名重忠は、源平の合戦において平氏に味方したため鎌倉幕府から安房国小湊へ流され、その地で貞応元年(1222)に日蓮が生まれ、父重忠は正嘉2年(1258)にその生涯を閉じました。日蓮の両親を顕彰するための
「妙日尊儀、妙蓮尊儀供養塔」 (市指定文化財) は、柳生但馬守の寄進と伝えられ、江戸時代初期の形を良く残した五輪塔です。この塔の南側には、貫名氏の歴代の墓所と伝えられていた石野の正覚寺(現在廃寺)から、明治時代になって、村人の手によって初代政直、二代行直、三代重美の供養塔も移されました。
境内には、遠州の七不思議のひとつ 「片葉の葦」 が東国へ旅立った重忠を惜しむように東側に葉を付けて茂っています。
伝承によると、日蓮宗の開祖、日蓮聖人の両親の供養塔で、正保3年(1646)に柳生但馬守宗矩(大和柳生藩主)が寄進した五輪塔であす。
日蓮上人の父は、貫名重忠(戒名妙日尊儀)といい、源平の争乱において平家に与していたと伝えられています。平家滅亡後に所領を追われ、安房国(千葉県)に移り、日蓮聖人はそこで生まれました。供養塔の建つ妙日寺は袋井市内では数少ない日蓮宗の寺院で、歴代の貫名氏の館跡に正慶元年(1332)に久遠寺の日善上人が開きました。
重忠夫妻の供養塔の隣には、初代貫政直、二代行直、三代重実の宝篋印塔が祀られています。
妙日寺由緒
日朝大上人墓
妙日尊儀・妙蓮尊儀五輪塔
妙日尊儀・妙蓮尊儀五輪塔
妙日妙蓮両尊儀五輪塔碑
貫名氏三代 (政直、行直、重実) の墓と伝えられる宝篋印塔(供養塔)
日蓮上人の両親供養塔所
妙日尊儀・妙蓮尊儀供養塔(五輪塔)
思親殿内陣
御堂に掛かる思親殿の扁額
妙日寺本堂
山門に掛かる孝養門の扁額
本堂に掛かる貫名山の扁額
山門
南無妙法蓮華経題目碑
日蓮大菩薩御先祖古跡碑
古跡碑側面の題目
常夜燈
妙日尊儀、妙蓮尊儀供養塔説明
本堂に掛かる妙日寺の扁額
本堂内陣
思親殿