初代歌川広重作 「行書東海道五十三次之内 袋井」

歌川芳員作 「東海道五十三次之内 袋井」

東海道松並木

行書東海道

東海道53次之内袋井

 江戸時代の東海道沿線の村々を記録した 「東海道宿村大概帳」には 「(掛川)宿より袋井宿迄之間往還通並木」 と記され、 街道の両側には旅人を強い日差しから守っていた松並木が、名栗から久津部の間に残されています。
 東海道の松並木は、慶長9年(1604)に徳川秀忠が 「街道の左右に松を植しめらる」 と 「徳川実紀」 は記しています。 その後、幕府は並木の維持管理に関する法令をたびたび出しています。明治維新以後は道路拡幅工事などによってその数を減らしてしまいました。

 題字が行書で書かれているためこの名がある。
 童とともに凧を見上げる旅人を描く。 大人二人がかりであげているところをみると、相当大きな凧なのであろう。 遠くに見える山並みは小笠山か。袋井市域の初夏の風景である。

 振り分け荷物と菅笠を放り出し、両手を合わせて命乞い。 農夫の声に促されてよく見ると、自分を狙っていると見えた弓の射手は 「かかし」、早とちりな旅人に農夫もあきれ顔です。
 ユーモラスな場面の背後には松並木が続きます。 東海道袋井宿近くの夕暮れです。

三代歌川広重作 「東海名所改正道中記 袋井」

東海道松並木

東海道松並木

東海道松並木