○正15年常夜燈
西南戦死精霊塔
宝暦14年(1764)の常夜燈
本尊薬師如来碑
足痛薬師如来碑
弘法堂
地蔵堂
薬師瑠璃光如来解説
間の宿原川解説
金西寺本堂
弘法大師
本堂に掛かる瑠璃場の扁額
地蔵菩薩
遠州かさやくし如来への祈願の仕方
(前略)
当山金西寺にお祭されてあります如来様の由来は、元禄のころ岡津の某此の近く三ツ池の端で草刈をしておりますと、不思議な呼ぶ声をきき岸辺の草をかきわけて見ると、半ば泥中に埋った金佛様を見出しました。
其の人はびっくりしてしまいましたがとてもありがたく思い、それからはいつも岸辺へ来てはお参りをしておりましたが、或日草刈りの半ば雨が降って来ましたので、自分の持って来た笠を佛様にかぶせ帰りました。これを見た村人達は笠佛と言うようになったそうでございます。(以下略)
宿と宿の間の街道に沿った小集落を間の宿と呼びます。 間の宿では、旅人の休息の場を提供することはできますが、旅籠すなわち宿泊業を営むことは許可されていませんでした。 原川は掛川宿まで一里18町(約6㎞)、袋井宿まで33町(約3.6㎞)の位置にあり、戸数は、文化・文政年間に編纂された 「掛川誌稿」 には46軒という記録があります。 原川には、原川薬師と呼ばれていた金西寺阿弥陀仏、その薬師に供える薬師餅を売る茶店、酒屋などが軒を連ね、街道を行き交う旅人で賑わいました。
寛保元年(1741)の如意輪観音
地蔵堂の地蔵菩薩
観音菩薩・地蔵菩薩・阿弥陀如来など