小川孫三の説明

 家伝によると、大神君(徳川家康)天正10年、織田信長の招きにより上洛した折、泉州堺に居た時、織田信長公家臣・明智光秀の逆心により京都本能寺において自害、畿内騒動となる。
 大神君(徳川家康)を連れて一行は間道を選び、伊賀路を越えて伊勢の国を通る時に、伊勢の一揆の者達が道をふさぐ。一行は野武士を追い払い、伊勢の国白子に着いた。この町に小川孫三という者がいました。家康は、孫三に海を渡る船を手配する事を命じた。孫三は家康の仰せに従い、夜にまぎれて小舟に家康を乗せて、若松の浦より漕ぎ出して夜を徹して海を渡り、尾張の国床鍋に船を着けた。重ねて家康の仰せに従い三河の国大崎まで送り届けた。孫三は、ここより伊勢の国に帰った。その後の事情により岡崎城に来て、家康に仔細を話しました。家康は孫三の話を良く聴いた後、当地に居住する事を許可し、この地芝間を新白子町と名づけ、地子諸役免除の御朱印を賜った。

 凡そ今より390年前本能寺事変の折、伊勢白子の住人小川孫三、徳川家康公の危急を救い、賞として天正14年8月14日、御朱印を賜る。是より藤枝町白子町と称えこの地に居住す

白子由来碑

歩道に埋め込まれた白子由来碑標示板