南無阿弥陀仏名号碑

明治20年(1887)の地蔵菩薩

大正10年(1921)の観音菩薩

三界万霊塔

五智如来像

誓願寺の境内で街道に面して安置されていましたが、寺が移転したため現在の場所に移されました。
 地元産の三輪石で作られ、石造りの五智如来像としては大きなもので、二組あります。一組は宝永2年(1705)に陸奥棚倉城から駿河田中城に移られた内藤豊前守弐信の家老脇田次郎左衛門正明が同年に寄進したもの。もう一組は、明治の中頃、鬼島の森川重蔵と静岡市寺町の藤田權三郎が作ったものです。
 宝永2年(1705)に田中城主となった内藤豊前守弐信には、上手く話しのできないお姫様がいました。殿様と奥方にとっては、このことが大きな悩みになっており、ある日、静岡の宝台院で徳川家の奥方にこのことを話すと、奥方は 「岡部宿にある誓願寺の本尊である阿弥陀様にお願いすると良い」 と教えてくれました。
 そこで早速、奥方は家老を連れてこの寺に参り願をかけました。お参りを続けた満願の日、お姫様は自由に口がきけるようになり、数年後には立派な大名の許へ嫁ぎました。
 殿様はこのことにいたく感激し、誓願寺へ田畑を、家老の脇田次郎左衛門正明は五智如来像を寄進しました。
(藤枝市教育委員会)

阿弥陀如来

釈迦如来

大日如来

阿閦(あしゅく)如来

宝生如来

山灯籠

二組の五智如来像が安置されている

三界萬霊塔・地蔵尊・僧侶の墓石など