約450年前、吐月峰(とげっぽう)開創者の 「宗長日記」 によると、当時の宇津ノ谷この付近は、十団子の店が並び繁昌していたらしい。それから60余年後の豊臣秀吉は、小田原征伐の時この村長の家に立ち寄った。それが現在のお羽織屋なおであろう。
 お羽織屋の上隣三軒目が 「上立場」 塩沢栄次氏宅である。東海道宇津谷峠に通じる手前の急坂なので、「坂本屋」 ともいった。数年前まで舗装でなかった明治天皇は、乗馬のままでこの坂を下られ、さらに約10年前京都に向った新選組は、草鞋(わらじ)・脚絆で坂道を登って行った。

 天正18年(1590)秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、宇津谷に休憩した。その際、当家の祖先が馬の沓を献上し、また戦陣の勝利を示すような縁起の良い話をしたので、帰りに立ち寄って与えたのが、当家所蔵のお羽織である。表は紙、裏はカイキ、後に家康も、この羽織を見て、記念に茶碗を与えたが、これも当家に所蔵されている。(石川家)

秀吉公のお羽織の由来

説明板

御羽織屋の看板