蔦の細道
古代・中世(約700年~1590年頃)の東海道です。
古くは 「宇津の山越え」 とか 「蔦の細道」 と呼ばれ、平安時代の歌人在原業平が 「伊勢物語」 にこの峠道のことを書き記してから全国的に名前を知られるようになりました。
明治のトンネル
明治・」大正時代(1876~1930)の東海道です。
今見られる 「レンガのトンネル」 は、明治29年に照明用カンテラの失火によって新たに作り変えたもので、現在は国の登録文化財に認定されてきます。
最初のトンネルは日本で初めて通行料を取ったので、「銭取りトンネル」 と言われていました。
宇津山慶龍寺
慶龍寺は、天正6年(1578)、勧昌院4世世宗旭和尚が開いた曹洞宗の寺で、当山の鎮守として延命地蔵尊(弘法大師作)が祀られており、本尊は十一面観世音菩薩である。
当寺は、室町時代から伝わる 「十団子」 が有名で、毎年8月23・24日の両日に催される縁日の際に、この 「十団子」 が参詣者に売られている。
旧東海道
天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原征伐のときに大軍を通すため開拓されたものと言われております。
江戸時代に入り正式の東海道として参勤交代の大名をはじめ、オランダ商館長、朝鮮通信使、琉球使節や一般の旅人が明治初期まで通行しており、当時は大変国際色の豊かな街道として賑わっておりました。
○ 慶竜寺 賽の河原の延命地蔵
十団子の伝説 峠では旅人を捕えて食べる鬼を小粒にして食べてしまった僧が現れたという
句碑 「十団子も 小粒になりぬ 秋の空」 許六
○ 御羽織屋
天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原征伐のため東上する途中休憩した時に主人忠衛門が秀吉から紙子の陣羽織を賜ったという
○ 明治のトンネル(明治9年開通)
長さ六十八丈二尺(230米)
公費 三万五千円 人夫二十一万人
○ 山越えの旧東海道
江戸時代には参勤交代の諸大名も往来した重要な交通路で、明治維新には明治天皇も馬で越えられたという。この峠には地蔵堂、馬頭観音、雁山碑、鬚題目碑が残されています。
○ 蔦の細道 平安の道
駿河なる宇津の山辺のうつつにも
夢にも人に会わぬなりけり
在原業平
東海道道標 宇津ノ谷
お羽織屋・明治のトンネル道標
長田西自治会連合会の案内板
宇津ノ谷入口
宇津ノ谷案内