徳川家康側室養珠院お万の方が家康公百ヶ日供養に際し放生会を行ったところである
史跡の放生池
当山は、もと感應山龍泉寺と称し、仁寿2年(852)富士市瀧戸に開創された天台宗の古刹であったが、鎌倉時代、日蓮聖人の教化が岳南一帯に広まり、聖人の高弟(六老僧)日向上人により建治2年(1276)日蓮宗に改宗した。
その後、度々災害により荒廃したが、富士郡の領主岩越刑部大輔が父感應院常因、追善のため、寺を駿府に移して再建し、常住山感應寺と改め現在に至っている。
徳川家の庇護を受け、特に家康の側室養珠院お万の方(紀州頼宣・水戸頼房の生母・水戸光圀の祖母)は、当山第13世日陽上人により得度剃髪している。家康没後、お万の方は当山において家康の百ヶ日法要を修し、放生会を行ったが、史跡
「放生池」 は、昭和20年6月戦災の後、都市計画により境内地の半分を失ったため埋没した。その後、縮小再現し、今はその名残を留めている。
境内には常行菩薩が安置され、古来霊験あらたかであると云われ参詣者が多い。
感應寺沿革
感應寺本堂
本堂に掛かる常住山の扁額
本堂内陣
当山中興行安院日朝大上人墓
浄行菩薩
妙法大善神
常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)は、法華経に登場する釈尊の前世の姿であったといわれる
常不軽菩薩