江戸時代の初期、寛文年間、紀州徳川頼宣は、江戸屋敷と領国の居城の間、146里に沿って七里間隔の宿場に、独自の連絡機関として23か所に中継ぎ役所を設けた。県内では、沼津、由比、丸子、金谷、見付、新居に設けられた。この役所を紀州お七里役所と呼び、5人1組の飛脚を配置した。これには健脚にして剣道、弁舌に優れた仲間が選ばれ、昇り竜、下り竜の紋様の伊逹・・・の看板を持ち、腰に刀、十手を差し、御三家の威光を示しながら往来した。普通便は、毎日、3日、江戸は5の日、和歌山は・・・
入山輝氏が描いた丸子宿絵図
入山輝茶店前には、鞠児学校跡立札が建っている。鞠児学校は長田西小学校の前身である。
お七里役所碑
碑の側面に由緒が刻まれている