東海道五十三次のうち丸子宿は、日本橋から46里、数えて20番目の宿でした。宿場は街道に沿って350間、規模は小さいが正式な宿場でした。
 宿場の入口(江戸方)、出口(京方)に見付という場所があり、街道の見張場の役目をしていました。
本陣 (建坪280坪、門構、玄関付の大きな公認の宿泊所でした。参勤交代の殿様や幕府の役人、勅使等が利用する宿でした。
脇本陣(二軒) 本陣に準ずる宿でした。
問屋場 宿場から宿場へ荷物を継ぎ送る伝馬業務を担当していた。丸子宿は小さい宿場でしたが、常に100人の人足と百匹の馬を備えた。
七里役所 徳川家紀州殿様の直属の宿泊・連絡所
旅籠屋 大2軒、中16軒、小6軒
茶屋 めし・茶・酒・団子等と共に産物を販売していた。この中に丸子の山から掘出した山芋が 「とろろ汁」 として名物となった。

江戸方見付跡説明

丸子宿江戸方見付跡