神社年鑑によれば、天明5年(1785)創建、明治11年(1878)公称を許可とあります。古老からの言伝えで、昔疫病が流行り疫病除けの神として勧請したと言われておりますが、歴史年表を見ると、天明3年(1783)の頃には、「7月浅間山噴火、死者一万人に及ぶ。この年未曽有の凶作、奥羽の死者数10万人に達する」。天明4年(1784)は、「この年夏、秋、米価高騰して庶民飢餓し、秋よりは疫病流行して死者が多い」。天明5年(1785) 「奥州三春、凶作、琉球凶作」。天明6年(1786) 「江戸開府以来の大水で死者、家屋破損が多い。この年大凶作、収穫3分の1」 などとあり、疫病除けの神として素戔嗚命を勧請したものであろうと推測される。

辛うじて読める由緒書

津島神社社殿

社殿に掛かる津島神社の扁額