源平一の谷の敗戦で捕らえられ、鎌倉で憂愁の日々を過ごす副大将平重衝を慰めるようにと、源頼朝は白拍子千手の前を遣わしました。
 和歌・琴・書に秀でた千手の前の優に優しい世話に、重衝も心を通わせ、互いに想い合う仲になりました。
 先に、東大寺を焼いた重衝を、奈良の荘は思い仏罰だとして引渡しを強要し、再び京都へ護送する途次に殺してしまったのです。嘆き悲しんだ千手の前は、尼となって重衝の菩提を弔いつつ生涯を閉じました。
 少将井神社は、手越長者の館跡と推定され、重衝と千手の前との哀切の情愛を主題とする謡曲「千手」の生誕の地と伝えられています


                           謡曲歴史保存会

文化7年(1810)の秋葉山常夜燈

少将井神社拝殿

拝殿正面

拝殿裏の斜面に建つ本殿

千手の前解説碑

平清盛の五男重衡は、武勇の誉れ高い武士であったが、一の谷の合戦で捕えられ、鎌倉に送られて囚われの身となった。源頼朝は重衡を手厚く扱い、当時名も高き白拍子千手の前を遣わしてねんごろに慰めたとう物語が「平家物語」や「吾妻鑑」にのっている。囚われの身の重衡の憂慮と、それい同情する千手の前の哀切の情とが微妙に絡み合った情緒纒棉たる物語が能に仕組まれ、名曲の一つとされて現在でも度々演能されている。
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千手の前像

昭和55年(1980)の庚申塔

御神木のクスノキ