本陣とは幕府の高官や、公家・大名・旗本・高僧など支配層の人々が、休憩・宿泊するために各宿場に設けられた施設です。
 はじめは 「大名宿」 と呼ばれていた、各宿場の広い家屋敷を持つ富裕な家を、寛永12年(1635)頃、参勤交代が制度化されると、幕府は 「本陣」 に指名しました。
 当主には苗字帯刀が許され、立派な門・玄関・書院(上段の間)を設けることが特権として認められました。
 島田宿には、西から上本陣村松九郎治家・中本陣大久保新右衛門家・下本陣置塩藤四郎家の三軒の本陣がありましたが、脇本陣はありませんでした。享和3年(1803)の 「島田宿明細書上帳」 によると、上本陣は建坪262坪、中本陣は建坪244坪、下本陣は建坪271坪とそれぞれの規模が記されています。
 諸大名は、各宿場の本陣を指定し、定宿としていました。本陣へは藩主と側近の一部が泊まり、その他の家臣団、女中、中間などは宿内の旅籠や商家、民家、寺院あるいは農家などにも分散して泊まりました。
 参勤交代の行列は、数百人から千人以上に及び、戦のときの行軍と同じと考えられていたため、大名の泊まる宿を戦場と同じく 「本陣」 と呼んだと言われています。

島田宿案内図

島田宿本陣跡説明

 この地は、江戸時代参勤交代の折諸国の大名が宿泊した島田宿の本陣があったところです。 この奥に島田代官の御陣屋があり、現在でも御陣屋稲荷(通称悪口稲荷)が祀られています。

下本陣 置塩藤四郎家跡(左面)

島田宿本陣跡標柱(正面)

島田宿本陣跡説明