島田御陣屋(代官所)跡説明

 江戸時代島田宿には、駿河国志太郡や遠江国榛原郡などの幕領(天領)を支配する御陣屋(代官所)が設置されていました。
 島田御陣屋は、駿河国府中城主徳川頼宣の代官であった長谷川藤兵衛長親が、元和2年(1616)に建てた屋敷がはじまりで、その子藤兵衛長勝が寛永19年(1642)、幕府の代官職に任命され、その屋敷が御陣屋となりました。以後、島田御陣屋に在勤した代官は次の人々です。(12名の名前は略)
 幕府では、はじめ全国に60人ほどの代官がそれぞれ5万~10万石の幕領を支配し、年貢の徴収、法令の伝達、訴訟の受理と審理、軽犯罪の処分などを行っていました。
 享保期以降は、勘定所管僚としての性格を強め、数年で任地が替わることが多かったようです。役高は150俵程度で、旗本の役職としては最下位に属しました。実務は手代と手付という下級役人が、地方(民政一般)と公事方(司法)に別れて行いました。

御陣屋跡標柱