この碑は、正直な川越人夫の顕彰碑である。
元文3年(1738)初秋の頃、紀州の漁夫が仲間と貯めた金150両の大金を持って、安倍川を渡ろうと川越人夫を頼んだが、渡し賃が高いため、自分で川を渡った。しかし、着物を脱ぐ際に、大切な財布を落としてしまったのである。たまたま、その近くにいた人夫の一人(川原町彦右衛門の息子の喜兵衛)が財布を拾い旅人のあとを追い、宇津の谷峠で引き返してくる旅人に出会って財布を渡した。旅人は喜んで礼金を払おうとしたが、「拾ったものを落とし主に返すのは当たり前の事だ」
といって、喜兵衛はどうしても受け取らないので、駿府町奉行所に礼金を届けた。そこで、町奉行が喜兵衛を呼び出し、礼金を渡そうとしたが受け取らないので、その金を旅人に返し、代わりに奉行所からほうびの金を喜兵衛に渡したのである。
昭和4年(1929)、和歌山県と静岡県の学童や有志の人々の募金によって、安倍川橋の近くのこの地に碑が建てられたのである。
碑文 難に臨まずんば忠臣の志を知らず。
財(たから)に臨まずんば義士の心を知らず。
碑文
難に臨まずんば忠臣の志を知らず
財に臨まずんば義士の心を知らず
石部屋の家神社と思われる
安倍川の義夫の碑
碑の奥にある稲荷社
安倍川の義夫の碑標柱
安倍川の義夫の碑解説