瀬戸川下流域

勝草橋

橋標の裏側に勝草橋由来が刻まれている

下流に 「ふれあい大橋」 という人道橋が見える

 明治8年(1875)11月に初代勝草橋が瀬戸川に架けられた。勝草橋という名前は旧幕臣の伊佐新次郎岑満が付けたものと言われている。(中略)勝草橋の名前の由来は2つの説が伝えられている。一つは昔、田中城の兵が付近の河原で合戦して勝利を得たことから、勝軍橋と言っていたのが縮まって勝草橋になったという説である。もう一つは志太という地名が植物のシダ(羊歯)の読みと同じで、シダの異名を勝草と称することから志太橋という意味で勝草橋になったという説である。

田沼街道解説が刻まれた親柱