双街とは、二丁の町という意味である。。江戸時代の初期、長い戦国の時代を経て住民の気持がすさんでいるころ、この駿府のまちでも男女野合の悪習が盛んに行われていた。
徳川家康は晩年大御所として駿府城で余生を送ったが、その頃の駿府は江戸に次ぐ都として繁栄を極めた。
家康は住民の気持ちを和らげ、またこの悪習を正すため揚屋町ほか、七ヶ町にこれを区画し京都、伏見から遊郭を誘致したが、元和元年(1615)に五ヶ町を江戸吉原に移した。
この碑は、この街に働いた女性たちの労に思いをはせ、双街の由来を記すため明治27年(1894)11月に当時の静岡県知事小松原英太郎氏の題字により、地元の人達が建立したものである。
覆屋に納まった伏見稲荷神社社殿
静岡雙街紀念之碑
双街の碑由来記