一里塚は徳川幕府より慶長9年(1604)大久保長安を一里塚奉行に命じ、一里(3,920m)を36町と定め、東海道・中山道に一里塚を築いた。東海道は江戸(今の東京)日本橋を起点に京都までの120里(約470㎞)の道の両側に松並木を植え、一里毎に塚を築き、ここに榎を植え目印とした。
草薙一里塚は、江戸より43里(170㎞)のところで、43番目の塚です。道を挟んで南塚があり一対となっていた。塚は5間(9m)四方、高さ1間(1.8m)と大きなもので、塚の脇には高札があり、榎の大木が繁り、街道往来の大名の参勤、飛脚・旅人の道しるべ・休息所等と成っていた。
榎の木陰で旅の疲れを癒した旅人たちが 「府中 (駿府=今の静岡市) 2里半、あと一息だ。頑張ろう。」 と道中合羽に三度笠振り分け、荷物を肩に旅立つ姿が偲ばれます。
史跡 東海道草薙一里塚標柱
重量500㎏の巨大タヌキ像
一里塚の由来碑
自然石の一里塚之址碑