昔からこのあたりは、東海道道と清水湊への道 「志ミづ道」 の分岐点であることから 「追分」 と呼ばれていた。周囲には数軒の家が並び街道の両脇には松並木が続き、その外側には田圃が広がり遠くには富士山が望めた。
 往来の旅人は土橋であった金谷橋を渡ったが、重い荷物を運搬する牛馬は橋横の土手を下りて渡川して街道に合流した。
 古来、牛道お言われた名残を今にとどめている東海道の史跡である。

行灯をイメージした追分の親柱

親柱に掲げられた解説

東海道道標 元追分

大澤川改修之碑