永禄11年(1568)12月駿河に攻め入った武田信玄は、翌年、現在の江尻小学校の敷地に江尻城を築き、その後、天正6年(1578)当時の城将穴山信君(梅雪)は、城を大改築し本格的な城とした。
 梅雪は、一村一郷に鎮守あり、一家に氏神あり、どうして一城に鎮守の神がなかろうかと言って、この地に社殿を造営したと言われている。
 近くには、江尻宿の問屋場・高札場・本陣等があって、東海道を往来する旅人でこの地魚町(上町)は賑わった。

 慶長6年(1601)徳川家康は、江尻宿を制定し、同12年巴川に稚児橋を架け、人々は入江町・上町(魚町)・中町・下町・伝馬町を宿五町と称し、これを中心として宿場は栄えた。上町には問屋場・本陣(寺尾与兵衛・橋本甚兵衛)があった。
 享保10年(1725)には、上町は魚町と記されており、安政年間の記録によると、全戸数47戸の内、宿屋が19戸で、他は雑貨屋・茶飯屋等であった。
 天正年間以前は、巴川を下り漁を営む人が多かったとも言われており、いつ頃から、上町が魚町と変わったかは定かでない。
 稲荷神社は、宇賀之御魂命を祭神とし、江尻城の城将穴山梅雪が建立した。今では、魚町氏子一同の鎮守の神として崇敬を集めている。

魚町稲荷神社由緒

魚町 (地名の由来)

手水舎

台輪鳥居

魚町稲荷神社拝殿

日本少年サッカー発祥の碑

明治天皇御東行御遺跡碑

シダに覆われた御神木のクスノキ

神饌幣帛料供進指定の稲荷神社社標

社務所 (魚町自治会館)

本殿覆屋

拝殿の奥に本殿が見えている