シャッターに描かれた天女像

クジラのオブジェ

江尻宿案内・解説

むかし「矢倉の辻」より、秋吉町の東側に称名寺集落があり、また吉添町・大手町あたりに元宿という小字が残っているので、その周辺がもとの江尻の宿場があったと思われる。
時代の変遷により、今川氏の頃から、この江尻は三日市場として栄え、永禄12年(1569)武田信玄が江尻城を築くことにより、江尻は城下町となり職人の町が発達した。
慶長6年(1601)徳川家康は、東海道53次を定めるにあたり、それまで今の北街道が主要街道であったものを改め、銀座通りを通すこととし、この地を江尻宿とした。(中略)
宿には、人馬や物資の移動を管理する問屋場を中心に大名の宿泊する本陣3軒、それに準ずる脇本陣3軒と、一般の旅籠屋が50軒建ち並び、人々の往来で栄えていた。