桓武天皇の御代延暦10年(791)坂上田村麻呂が勅命を奉じ、蝦夷征伐の途上戦勝を祈願し、守り本尊の行基菩薩作・大聖不動明王をこの地に奉安したことが起源と伝えられています。
 時代が下り津波がこの地を襲った時、この不動尊から一条の光明が発せられ津波を左右に分け、興津は被害を免れることができました。
 また、地元の漁師が大嵐に遭遇し思わず不動尊を念じたところ、不動堂より一条の光明が発せられ、光の当たっているところは波が穏やかで、漁師は無事に家に帰ることができました。このため、人々は海難から守る 「波切不動尊」 と崇拝されるようになったと言われています。
 明治時代になり神仏分離令・廃仏希釈で変遷の後、人々の煩悩を断つ霊験あらたかな不動尊・精神修養道場の不動堂は、今も多くの参拝者で賑わっています。

津島神社

興津不動尊

不動院はこの滝上にある。

不動の滝

茨原神社本殿

茨原神社御祭神

茨原(いはら)神社

祭神は天照大御神で、合祀社は山神社・八幡社・浅間社・諏訪社・天神社・社護神社となっている