1935年から桜祭りが開催され、ワシントンで1948年に初代の全米女王が選出された。毎年、日本さくらの会の招聘により、米国大統領親書を携えて日本を親善訪問し、各種行事に参加している。
第22代日本さくらの女王 数井えりさ
明治元年12月興津宿宿割地屋号が記されている。
位置
北緯 35度03分00秒
東経 138度31分10秒
海抜 4.793m
東の由比宿に2里12町(8㎞と120m)
西の江尻宿に2里2町(8㎞と20m)
由来
東海道五十三次のうち17番目の宿場として栄えた興津は、興津郷と称されていた。
地名のいわれは 「宗像神社」 の興津宮を当地に勧請したことに由来する。
慶長6年(1601)徳川幕府は、東海道に伝馬制度を設け、興津の百姓・年寄中に伝馬朱印状を与えられる。この興津宿は江戸から数えて17番目の宿である。
参勤交代の制度が確立した寛永時代、東本陣・西本陣の二軒のほか、脇本陣を置き、旅籠も24軒という賑やかな宿場となる。
ともあれ、東西の交通の最重要路であり、甲州を結ぶ身延道の起点でもあった。なお、由比宿より山道で親知らず子知らずの難所 「薩埵峠」 を越え、ほっと一息つける宿場であった。
この付近一帯が興津と呼ばれたのは、宗像神社の祭神 「興津島姫命」 がここに住居を定めたことからと言われている。また、平安末期から興津家一族(興津・小島地区を治めていた)が住居していたのでその名を地名としたとの説もある。
古代から呼び名は、奥津・沖津とも言われていた。
興津宿の由来
興津宿案内板
由来書
東海道道標 興津宿
興津町役場跡碑
第61代全米さくらの女王興津訪問記念樹の薄寒桜