左手段上にきれいなトイレがある
薩捶峠ハイキングコース案内
往還坂碑
薩埵峠は、万葉の時代から磐城山と呼ばれていましたが、文治元年(1185)、近くの海から地蔵菩薩の石像が引き揚げられ、人々はこれを山に祭りました。
山の名も菩薩と同じ意味の 「薩埵」 と呼び変えられたと伝えられています。薩埵越えは、東の箱根峠越え、西の鈴鹿越えと並ぶ、道中の難所でした。
薩埵峠を越える道は江戸時代に三つありましたが、明暦元年(1655)、朝鮮通信使のために山腹を切り開いて街道としたのが、「中の道」 (現在地)
です。