延喜式神名帳に 「駿河国蘆原郡豊積社」 とあり、ここの地を町屋原と称するは、古代において物々交換の市場が営まれたところで社伝によれば、第40代天武天皇の白鳳年間ここに五穀の神
「豊受姫」 を祀る豊積神社が創建されたと伝えている。
平安時代に入り木花開耶姫(このはなさくやひめ)を祀る浅間信仰が広く流布され、延暦10年(791)神主の夢想神託により木花開耶姫を祭神とし、豊受姫は稲荷社として境内社に遷宮された。
延暦16年、坂上田村麻呂が東征の途上、豊積神社に戦勝を祈願し、その帰路戦捷報告に立ち寄ったのが旧正月1日とあって、ここに戦勝祝賀の宴が盛大に催され、大太鼓を繰り出し3日2晩夜を徹して町内を練り歩いた。これが今に伝えられるお太鼓祭りの起源とされている。
(由比町教育委員会)
本殿は総欅銅板葺流造りで延喜式内社にふさわしい古式な風格を備えています。棟には内削(うちそ)ぎの置千木(おきちぎ)と鰹木を供え、均整のとれた建築です。
造営の記録は、棟札によれば慶長5年(1600)に建造、享保17年(1732)に北田村の大工松野藤四郎によって建て替えられ、現在の建物は社伝によれば文政8年(1825)に駿府町奉行社寺係の計らいで、現伊豆市土肥の宮大工砂間仙蔵父子と地元大工による建築です。
屋根は明治22年(1889)に静岡市鷹匠の銅工藤田惣七等により檜皮葺(ひわだぶき)から銅板に葺き替えられました。
昭和28年(1953)に台風による損傷の大修理を行い現在に至っています。
(由比町教育委員会)
井戸と手水舎
豊積神社拝殿
拝殿に掛かる豊積神社の扁額
静岡市指定文化財の御神木の大イチョウ(雄木)
お太鼓祭碑
豊積神社由来
磯前神社・稲荷神社・須賀神社・日枝神社・山宮神社
拝殿内の5基の太鼓
文政8年(1825)再建で総檜造り
本殿側面
本殿正面
境内社
豊積神社本殿説明