天正12年(1584)12月に蓮乗院日満上人が当境内に大乗妙典を書写した経石数百個が埋没してあるのを知り、土地の有志と話し合って石塔と草堂を建立した。これを教塚山妙栄寺と号し、自ら開山となって、身延山窪之坊に属せしめたのが当時の起源である。
 当時は三間四面の辻堂にして無檀無禄、住職は名義のみであったが、十七世勧静院日徳上人が再興を図ったものの間もなく清水市安穏寺二十四世に転じて果たさず、由比本光寺二十三世日順上人、正法寺十九世日譜上人が兼務したが、後に荒廃に及んだ。
 明治23年篤信家望月与平氏が堂宇を修繕して題目修行の道場とした。翌24年長田村広野(現静岡市広野)の富田とよ女史が当堂に来て仏祖三宝に給仕していたところ、27年4月海野久太郎氏が霊験を経て難病が平癒したので出家し、当山の法灯を継承した。
 その後、日豊法尼と十八世日久上人の心願によって現堂宇が建立された。本堂内には日蓮宗のい開祖日蓮聖人尊像のほか法華経の守護神である鬼子母神像が奉安され、霊験あらたかなところから参詣者が絶えない。

妙栄寺由緒

南無日蓮大菩薩五百御忌碑

南無妙法蓮華経題目碑

南無妙法蓮華経題目塔

浄行菩薩

山門

妙栄寺本堂