残り田はそしろにすぎじ 明日はただ ゆひもやとはで 早苗とりてん
参道口の貞治元年(1362)の南無妙法蓮華経題目碑
堀河院歌碑
日蓮上人が鎮座する本堂内陣
山門
鐘楼
正法寺本堂
残り田は 十代にすぎじ明日はただ ゆひもやとはで 早苗とりてん
残り田はあと十枚ばかりだから、雇人をせずに田植えをしよう。
との意で、康永年中、堀河院百人首中の一である。
このユヒの語源は、遠い昔から労働生産に使われた言葉で、元結、結納のユヒで、組合または協同、交換の意味で使われ、農業や漁猟の仲間同志の労働的な常套語であった。
されば東は奥州の端から西は九州の果てまでユヒ、ユエ、ユフなどと発音は異なっても、全国いたる所で使われたのである。
山門前の南無妙法蓮華経題目碑
本堂に掛かる光栄山の扁額