御七里役所之跡の手前の壁板の美しい家

御七里役所之跡碑

由比宿町並み

江戸時代西国の大名には江戸屋敷と領国の居城との連絡に七里飛脚という直属の通信機関を持つものがあった。
 此処は紀州徳川家の七里飛脚の役所跡である。同家では江戸和歌山間584キロに約七里28キロ毎の宿場に中継ぎ役所を置き5人1組の飛脚を配置した。主役をお七里役、飛脚をお七里衆といった。これには剣道弁舌にすぐれたお中間が選ばれ、昇り竜下り竜の模様の伊達半天を着て「七里飛脚」の看板を持ち、腰に刀と十手を差し御三家の威光を示しながら往来した。
 普通便は毎月3回、江戸は五の日、和歌山は十の日に出発道中八日を要した。特急便は4日足らずで到着した。幕末の古文書に中村久太夫役所、中村八太夫役所などとあるのは、由比駅における紀州家お七里役所のことである。
 この裏手に大正末年まで七里衆の長屋があった。