当寺は、臨済宗(禅宗)京都妙心寺(建武4年西暦1337年)を大本山として、開山無相大師の一流の禅を宗旨として霊雲派太原小派を伝承しています。
寺名は 「神澤山海寶寺」 と呼称し、開山は天栄澤和尚
大禅師で、開創年代は不明です。
鎌倉時代の作とされている塔(由比川山奥の石)が当山に保存されています。
室町時代には、京都より公家が来山した記録があり、江戸時代に一度全焼し約50年間建物のない時代もあったと言われています。
なお、当寺歴代住職三浦海寶院の読経によって蒲原城主北条新三郎(外700余名の兵士)の霊魂、一眼の亡霊を慰めた(蒲原町教育委員会文化財保存審議会及び富士市善徳寺史蹟保存会刊行)とあります。
海寶寺由緒
海寶寺山門
安永8年(1779)の三界萬霊塔
天明3年(1783)の地蔵菩薩
元禄2年(1689)の観世音菩薩
文化7年(1810)の地蔵菩薩・如意輪観音など
無縁塔
ご本尊釈迦如来の本堂内陣
本堂に掛かる海寶寺の扁額
山門に掛かる神澤山の扁額
山門から石段を上がったところに本堂がある
六地蔵尊
山門から海を望む
元禄6年(1693)の青面金剛の庚申塔
海宝寺本堂