歌川広重は、天保元年(1829)幕府の命を受けて、「八朔御馬献上」 の式典のようすを描くために、初めて東海道五十三次の旅を体験した。実際に旅したのは、天保3年(1832)のこととされている。「八朔御馬献上」 は、江戸の幕府から朝廷へ御料馬二頭を献上する年中行事の一つであった。
 その時のスケッチや印象をもとにして、広重が五十五図の錦絵に制作したものが
保永堂版 「東海道五十三次」 のシリーズである。この五十五図のうち、特に 「蒲原夜之雪」 は 「庄野の白梅」、「亀山の雪晴」 とともに 「役物」 と称され、中でも最高傑作と言われている。
 錦絵に使用する越前奉書紙の地色を巧みに生かした夜の雪、二人の駕籠屋と一人の按摩を配した里の情景など、情緒豊かに構成された名作との評価が高い。

蒲原夜之雪解説碑

安藤広重画 「蒲原夜之雪」

蒲原夜之雪記念碑