木屋稲荷は渡邊金璙(かねよし)が天保9年(1838)2月に当家稲荷として石祠を造りました。
その後、弘化2年(1845)に京都伏見稲荷本宮、羽倉伯耆守により直接正一位稲荷大明神の位を受け弘化3年2月8日初午の日に入位されました。
伏見稲荷は、商売繁盛の神社として有名ですが、その正官を代々務めていた羽倉氏は学問でも高名で、中でも羽倉信盛(荷田東丸大人)は現在学問の神として伏見稲荷の隣接する地に祀られています。
当家の祠は、敷地の南西に当たる不動沢の端(現在の不動沢と県道が交差する西側)にありましたが、昭和初期の法律の改正により不動沢の脇の作道が官地となったため、止む無く当家の奥庭に移されました。
造られた当時からこの稲荷は近隣の人達に親しまれ、いつの頃からか 「おたふく風邪」 の稲荷として伝えらえてきました。
この稲荷を懐かしむ声が多く、平成11年(1999)に現在の場所に移されました。
毎年、初午の日には、紙の旗を持った子供達がお参りに訪れます。
渡邊家は、江戸時代末期に問屋職を代々務めた旧家です。また、材木を商っていたことから 「木屋」 という屋号で呼ばれていました。
「渡邊家土蔵(三階文庫)」 は、四隅の柱が上にいくにつれて少しずつ狭まる 「四方具(しほうよろび)」 (四方転び) という耐震性に優れた技法で建築されています。
三階建ての土蔵はあまり例がなく、棟札から天保9年(1838)2月21日に上棟したことが分かり、市内最古の土蔵であると考えられます。
この土蔵の中には、江戸時代の貴重な資料が多く保管されています。
平成13年8月29日、市指定文化財に指定されました。
中庭にある井戸
木屋稲荷由来
渡邊家土蔵(三階文庫)説明
渡辺家土蔵
木屋稲荷の石祠
木屋稲荷の鳥居