諏訪神社は保元年間(1156-59)、今から820年前吹上丘六本松附近に建てられた御宮に始まる。
 当時、五見坂附近は六本松の辺りまでなだらかな丘陵が続き、直ぐ東側に富士川の本流が流れ、富士川は、しばしば氾濫しては丘陵を削り、附近の住家や農作物に被害を与えていた。住民は水害から逃れようと相談の結果、長野県上諏訪大明神の御分霊を勧請して、六本松の池の畔に諏訪明神宮を創設し、水難守護神としてお祀りしたのである。
 いつの頃か池は水害で流されたが、土地の人々はこの池を諏訪が池と呼んでいたと云う。その後も富士川の水害は度重なり、せっかく造営した御宮も流失の危険に迫られ、元和6年(1620)の水害の折、現在の地に遷座し本社殿、拝殿、籠堂、玉垣等を造営した。
 天明6年(1786)渡辺利左エ門氏を始めに町内の人々の浄財により本社殿、拝殿を建立したが、安政の大地震による山崩れのため押し出され、現在の場所に転座した。
 大正9年(1920)遷座300年を記念し、記念碑を建立し大祭を行った。碑文は当時蒲原町に在住していた正二位勲一等伯爵田中光顕閣下の揮毫である。

諏訪神社由来記

庚申堂

鳥居の先に急な石段が続く

諏訪神社拝殿

御神木のシイの木

諏訪神社遷座300年記念祭之碑

地蔵菩薩

三猿が刻まれた庚申塔