大木の脇に北条新三郎の墓が建っている
永禄12年(1569)12月6日、蒲原城は武田軍の攻撃に遭い、落城しました。
城主北条新三郎は、城から抜け出し常楽寺まで逃れましたが、寺に火を付け自害したと伝えられています。その後、供養のために、ここに碑を造りました。碑には
「常楽寺殿衝天良月大居士」 の戒名が記されています。常楽寺につきましては、現在、裏付ける資料は残っていませんが、「奥の院ここより五丁」 という道標や常楽寺の奥の院と考えられる観音穴があることから、この近くに常楽寺があったことが推察されます。(静岡市)
北条新三郎の碑説明
北条新三郎の墓は竹林の中にある
常楽寺殿衝天良月大居士と刻まれている
北条新三郎の墓
北条新三郎の墓入口
北条新三郎の墓標柱