御中臈「浜田」は、大政奉還によって静岡に退隠した徳川慶喜に同行し、翌年亡くなり法蔵寺に埋葬された

馬頭観世音菩薩

江戸城大奥の御中臈「浜田」の墓

第14番札所の如意輪観音

静岡新西国観音

観音堂内の妙智力の扁額

御堂に掛かる観音堂の扁額

子育地蔵尊

いずれも大本山永平寺貫首丹羽康芳禅師親筆

観音堂

圓通閣の扁額の掛かる本堂内陣

庚申塔群

法蔵寺本堂

本堂に掛かる佛国山の扁額

無縁三界萬霊塔

鐘楼

三体づつ刻まれた六地蔵尊

六地蔵尊

延宝4年(1676)この地方一帯に疫病が流行して多くの村人が苦しめられた。村内に信仰厚き者があり、我が身を犠牲にして、病に苦しむ村人を救わんと穴を掘ってその中で読経祈願すること幾数日、遂に読経の声途絶えて亡くなった。その祈願と犠牲が天に通じ村人たちは救われたという。村人たちはこの者を弔うため堂宇を建て地蔵尊を安置して、千日参詣の願を掛けて祀りをしてご恩に報じたといわれている。

千日地蔵尊

狐ヶ崎地蔵尊

如意輪観音

開祖大原家の墓

街道に面して建つ法蔵寺寺標

山門に掛かる法蔵禅寺寺標

山門に掛かる本尊聖観世音菩薩標

寛延3年(1750)の南無観世音菩薩碑

狐ヶ崎とは寺の正面に見える谷津山の南麓であり、ここに永観堂という名の堂宇が建ち、地蔵尊が祀られていた。東海道を往来する旅人は皆この永観堂に立ち寄って狐ヶ崎地蔵尊に参詣して道中の無事を祈願したという。